当店、一世、新垣筑登之淑規は琉球王朝時代末の王家・尚氏三代に庖丁役(台所奉行)として仕えておりました。
当時、琉球王朝は日中間の両属という立場にあり、冊封使を中国から迎えた際には共に来琉した料理人に中国菓子を習いました。
そして伊江王子また与那城王子のお供として上った薩摩藩では和菓子を学びました。
日本と中国の技法を取り入れ琉球独自の菓子を造りあげたのが、新垣の琉球菓子であります。
廃藩置県後、明治41年 三世 淑康が沖縄初の菓子司として新垣菓子店を興し、四世淑扶がのれん分けとして昭和7年那覇市久米に店を開店。
その後首里に戻り店を構え研鑽に励んでまいりました。その琉球時代からの菓子を今日まで伝えたものが新垣菓子店の琉球菓子です。
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